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七志座誕生秘話
大学で4年間、人形劇の勉強と実践をしてきて、なんとかそれを生かす仕事に就きたいと思っていた私。保育用品営業販売への道に進んだ。
しかし、忙しさと難しさで人形劇どころではなくなっていった。春を過ぎて夏、転機が訪れた。ようやく私という営業マンに慣れてきた園の先生との会話の中で、人形劇の話しに発展し、「やってみせてよ」ということになったのだ。私は5人から8人ほどでする人形劇しか体験したことがなかったので、まず丁重にお断りした。一人で人形劇などできるはずがない。しかし、先生は面白がって子供たちをホールに集め、既成の人形を3体持ってきて、簡単な舞台までしつらえて、私の背中を押したのだ。どうしよう。もうこうなったらやるしかない。開き直った私は、ネクタイをとり、カッターシャツも脱ぎ、Tシャツ1枚で舞台に立った。

実はそれが、私の一人人形芝居の出発点だったのである。


即興で作った人形劇は大当たりして、気をよくした私は知っている手遊びを披露。終わったあとは汗だくで立っているのもやっと。手は震えて、体も上気し熱く、よく笑ってくれた子供たちの歓声に涙が出た。先生に感謝し、思わず言った言葉が、「私、自分の人形を作ってきます。またやらせてください。」もちろんOK。その日、営業を終えて帰り、徹夜で一匹のサルを作った。それは父ちゃんの人形だった。早速そのサルの人形を持って園に行き、報告した。すると今から子供たちに見せてくれという。舞台は机の上。簡単に自己紹介しようとして気がついた。名前がまだない。子どもたちにその場でつけてもらった「さる次郎」。大いにハッスルしたさる次郎に質問が飛んだ。「さる次郎は友達いないの?」私は「いるよ〜今度連れてくるからね〜」と答えていた。家に帰ってまた徹夜。今度は友達のサルを作るのだ。急いで作ったので、サイズがさる次郎よりも小さくなってしまった。友達というよりは子どもだ。よし、さる次郎の息子ということにしよう。名前は「さるきち」。安易なつけ方をしたが、これが爆発的人気を博していった。


噂が噂を呼び、私の人形劇は奈良県の山奥の保育園からどんどん広がって行き、3年後にはほとんどの幼稚園保育園で公演活動をしていたのである。公演回数743回を数えた。そのなかで人形も少しずつ増えていき、レパートリーも数え切れなくなっていった。あるときはサンタクロース、あるときは火の神様、あるときはギターを弾く歌のお兄さん、あるときはオカリナ吹きのおじさん、あるときは三味線で紙芝居、あるときは不思議な腹話術、番外編で人形劇講習会の講師になって飛び回った。全て営業中にさせていただいたボランティアだった。 当時の店長には、私の活動をよく理解してもらい、感謝している。おかげで人形劇でひとり立ちができたのである。ななし座の名前の由来は743回の公演回数の語呂合わせである。あともう一つ。「七志」、七つの志しを持つ人形遣いとして生きたい、という目標も掲げた。人形劇はオトナもコドモも同じように楽しめないとだめ。誰もが楽しめる人形劇を、ということで

第一志  「心に残る笑いを提供する」
第二志 「愛を根底に置き、家族の絆をテーマに伝える」
第三志 「一本芯の入ったストーリーで観客を迷わせない」
第四志 「親の恩、師の恩、友の恩を大切にする気持ちを静かに伝える」
第五志 「人に恋する想いを素直に出し、人を好きになる素晴らしさを伝える」
第六志 「悠久の時の流れをファンタジーの中で具現し、体験させ、私たちは宇宙の一部であることを認識させる」
第七志 「共感があればこそ感動が生まれることを胸に、日々人の立場で考え、物語の中に組み込んでいく」

これら七つの志のひとつひとつに「心」という漢字が入っている。私たちは人形芝居を通して、人間に心を伝えていく仕事である。そのためには私自身が豊かな心でいなくてはならない。この志しを刻み込んで芝居をしていこうと決めた若き日のクサイこじつけも、今では私の中心に流れる座右の銘。こうしてななし座は生まれ、続いている。これも全て、きっかけを作ってくれた先生と子供たち、私を認めてくれた店長、公演に毎年呼んでくださる保育園や幼稚園や小学校の先生方、そして全てにおいて協力を惜しまないわが妻、その他たくさんの人のおかげで存在しているのだ。いくら感謝をしても仕切れない今なのである。


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